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Nowhere To Hide 無宿モノの世界中ポートレート

仏塔復興プロジェクト 1










僕のじいさんは、今の僕より若い年齢でここミャンマーに出兵し、戦死した。僕がこの地に住み、仕事をする機会を得たことが何かの因縁のようにも思える。



第二次世界大戦終盤当時、ミャンマー国における日本軍とイギリス・インド連合軍との対立が激化。イラワディー川付近、ミャンマー中部のやや西に位置するマグウェイ管区内、セイピュー町、ラッセイ村は、両軍の戦闘地として破壊された場所の一つだ。日本軍は連合軍キャンプのある村の外れに対して大砲によって攻撃し、連合軍キャンプ近くに建立されていた仏塔(パヤー)が破壊された。



このパヤーは約150年前、地元民バーメーさんが全額寄付して建立。本来、同村内にある他の寺院に寄付しようとしたところ、〈黒〉という意味が含まれるバーメーの名前が不吉との事で寄付を受け取りを拒まれた。その代わりとして所有していた土地にバーメー仏塔が建立された。(建立者の名前にちなんで村ではバーメーパヤーと呼ばれていた。)いい伝えられた噂では、寄付金の入手先は実在しない守り神(ミャンマーで古くから伝わる女神オクサゾン)から譲り受け、仏塔の地下部にはたくさんの金(きん)や宝石が埋められたとのこと。毎年ミャンマー中の仏教寺院で10月に催される雨期明けを祝す満月の祭り(ダディンジュ・パヤーブエ)は、バーメー仏塔では満月より5日目に開催し、毎年とても多くの村人で賑わい、祈りが捧げられた。



寺院に寄進する文化のあるミャンマーでは、自らの生活はさておき寺院仏塔を建立するために優先的にお金を寄進する敬虔で平和を好む民族である。ラッセイ村内には、現在人口850人程度の小規模、及び経済的にもむしろ貧困で原始的な生活環境にも関わらず、ミャンマー人の宗教心を表すように、既に3つの仏教寺院、またその寺院内には幾つかの仏塔が存在する。



終戦間近の1944年(推定3月位、インパール作戦時)、現在では畑として開墾されているが、当時バーメー仏塔付近は林の密生地帯であった。連合軍は空挺部隊の後方支援を含め、陸・空での爆撃により日本軍の駐留していた村隣接地を重点的に破壊。一方日本軍は、連合軍キャンプ地に対して南西約800mより大砲で攻撃。当時の物資補給困難な状況、及び現地の証言により、日本軍による攻撃は空からの爆撃によるものではなく、大砲及びゲリラ的な夜襲によるものだった。この大砲による攻撃でキャンプに隣接していたバーメー仏塔に砲弾が的中し、破壊されたものと思われる。しかしながら、戦闘時は全村人が避難を促されており、実際に大砲で爆撃された瞬間を見たという証言はなし。疎開先から帰村した際に破壊を知り、現地の状況から推測した上、日本軍によるものではないかという見方が強い。














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ラッセイ村の南東、日本軍が点々と壕を掘り駐留していた丘よりバーメー仏塔方面を望む。






















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バーメーパヤーが建立されていた場所。破壊され、飛散した当時のレンガがいまだ残る。






















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現在、この地には破壊されたままの仏像の頭部のみが残存している。





















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いくらかかるか知らないが、僕はこの同じ日本人に壊された仏塔を何とかして復興することによって、僕のじいさんを含めこの国で散った13万の日本兵の追悼の意を表すると伴に、平和を好むこの村の人々が再び訪れてお祈りしてくれる場所を提供したいと思う。

























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by hideoku0413 | 2014-01-18 01:49 | ミャンマー仏塔復興プロジェクト