Berrickの血筋
横浜の人気観光スポットである元町。そこから10分ほど丘を登った高級住宅街の山手の中にBerrick Hallと呼ばれる屋敷がある。現在では横浜市が管理する、開国時の由緒ある建物として一般に公開している施設だ。
1898年に渡来し、ここで貿易商としての事業を営んだBerrick氏の名前に由来する。
僕の個人的な経歴だが、2004年まで約3年間、仕事でここから歩いて15分程度の場所に住んでいたことがある。この屋敷のことは一切知らなかった。
今回前もって連絡をし、訪問したのには理由がある。
オーストラリア本土のアリススプリングスの砂漠の中で出会ったナツメヤシ農園のメンバーで、そこに数十年前から一人で住んでいるDaveの祖先が当時のこの屋敷の持ち主B.R.Berrick氏だそうだからだ。Daveの苗字もやはりBerrick。一人息子の彼は祖父であるB.R.Berrick氏の唯一の直系血筋を受け継いでいる。Dave自身はこの場所を訪れたことはまだ無い。
Daveの祖父B.R.Berrick氏。Daveの父親は子供時代にここで過ごしたことをDaveに話して聞かせたそうだった。当時Daveの父親は日本語が話せたので、Daveの子供時代にはよく日本語が使われたとのこと。
その中の一つ、唯一Daveが覚えている言葉に「ボウ」がある。僕が初めてDaveに聞いたときは何のことだ?と思ったが、彼の父親がDaveを呼ぶ時に使っていた「坊や」のボウだった。
館長の方にわざわざ案内していただいた屋敷内。当時のままの様子をできる限り残している。
この屋敷は50年程前まで数年間、このBerick Hallの向かいにあるキリスト教学校の寄宿舎として利用されていることがあった。以前僕がこの近辺に住んでいた際の仕事で知り合った方で今も仲良くさせてもらっている先輩は、少年時代この寄宿舎で過ごしていたとのことだった。何だか偶然が重なる。
当時Daveの父親が、子供部屋として利用していた部屋
輸出品の一品。輸出元の書いているナプキン。
今では横浜の屋敷とは一切関わりが無く、砂漠に囲まれてラクダと一緒に生活を送るDave。
祖父の資金を受け継いで事業で成功した彼の父親や家族と供にシドニーで幼少時代を過ごしたDaveに、なぜこんな場所に住むことになったの?と聞いてみた。
彼を世話してくれた召使のオジサンにDaveはいつもくっついてまわり、金持ちではないにも関わらず陽気で明るく人生を楽しんでいる彼に影響され、子供心にDaveは金持ちが必ずしも幸せではないんだと悟ったんだそうだった。
その後青年期に親元を離れてオーストラリア中を旅して周り、ナツメヤシ農園の創業者と出会い、ここに落ち着くことになった。
人生はどうなるかわからない。
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by hideoku0413
| 2016-08-30 05:58
| 日本