また違う村でのヴォドゥンの儀式。休日に郊外をうろついていたら遭遇した。
ブードゥーの原型であるヴォドゥンには様々な神様がいることを書いたが、
前回までの村はザンベトと呼ばれる神様だった。この村ではクビトと呼ばれる神様が敬われている。








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by hideoku0413
| 2017-06-25 19:03
| 西アフリカ ベナン
ベナンの民間信仰であるヴォドゥンの儀式。佳境を迎える段階にきた。
歌や踊りの騒ぎに集まってきた村人たちは、いつの間にか相当数に上っている。





いよいよザンベトがみんなの前に姿を現す。村人たちも興奮してそこら中で踊り歌う。興奮を体で表現することが自然にできるのがアフリカ系の民族なんだろうか。

聞いたところ、ザンベトは元々泥棒除けの呪いとして発生してきたんだそう。本当かどうかはわからない。民間信仰として発達したヴォドゥンには、生活習慣上、必然的要素から生まれたことがわかる色んな神様が存在している。泥棒除けや病気、出産や死など、各家族や村単位にとって一大事から発生したように思う。

神の化身であるザンベトが、きちんと整列しているのが何だかおかしい。

村の通行人はザンベトに敬意を表する。敬意の表し方はやはり腰を低くする。お辞儀ではないがそれに近い行為のように思える。




各ザンベトの踊り狂う時間はとても短い。回転しながら奇声を発して動き回る。回転してどこか変な方向に行かないよう、またぶっ倒れてしまわないよう、誘導する係がついている。


昼過ぎに始まったヴォドゥンの儀式は、夕暮れを過ぎても続き、2日間にわたって行われた。

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by hideoku0413
| 2017-06-22 05:34
| 西アフリカ ベナン

予想していなかったがクバンと呼ばれる祈禱所の中に案内してくれ、撮影させてくれた。
右端に見えるスダレの中ではザンガンと呼ばれる祈祷師が何やら呪文を唱えている。姿は見えない。呪文なのか、うめき声なのか、今まで聞いたことがないようなウネリのある叫びが聞こえる。ここが神が乗り移る儀式の大元だ。
真ん中に見えるワラの塊が、ザンベトと呼ばれる神の化身。


この村には数種のザンベトがいるよう。男と女の象徴のような化身、牡牛の角が象徴的な化身など様々。

ヴォドゥンの儀式では生贄が重要な役割の一つを担う。ヤギや鶏などが捧げられている。彼はこの儀式の司祭的な存在のようで、このクバンの中を取り仕切る人物。他の村人が歌や踊りで盛り上がってきている中、冷静に儀式に必要な作業を進めている。


広場にいた歌の役割を担っていた村人たちもクバンの中になだれ込んでくる。手拍子と供に足踏みをし、クバンの中は砂埃が舞い上がり、異空間にいるような錯覚に陥る。

赤ん坊も騒ぎに引き寄せられ、紛れ込んでいる。いいんだろうか、、、

ワラの塊であるザンベトを祈祷師のいるスダレの入り口に持っていくと、うめき声を上げつつザンベトに神が宿るようだ。司祭的な役割の彼がザンベトに聖水をかける。

狭いクバンの中をザンベトは回転しながら縦横無尽に動き回る。踊りと歌の集団が音頭をとりながら汗だくになってザンベトを誘導していく。空間の熱気は最高潮に達しつつある。





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by hideoku0413
| 2017-06-20 05:55
| 西アフリカ ベナン




村人の歌や踊りにつられて楽隊も集まりだした。どうやら、歌と踊りが儀式の合図のように、村人たちが続々広場に集まりだす。


マリで有名な打楽器にジャンベがあるが、同じ西アフリカのベナンにも似たような太鼓がある。経緯はわからないが、マリの方から流れてきたのかもしれない。
手で叩くジャンベの他にも枝でリズムをとる太鼓もある。太鼓も鐘も手拍子もそうだが、基本的にこの辺では打って音を鳴らす打楽器が多い。人類学的に本能的な音の出し方のような気がするが、人間の鼓動や内なる躍動を外に表現しやすい楽器なのではないか。どんな音楽のジャンルかにも依るかもしれないが、自分の内面を表現するのに、ギターなどの弦楽器などとは明らかに異なる表現方法のように思う。









僕のバイクがいつの間にか観客席になっている、、、、


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by hideoku0413
| 2017-06-17 04:37
| 西アフリカ ベナン


ブードゥー教の原型であるヴォドゥンの儀式が行われるこの日、いつの間にか少しづつ村人が集まり始めた。
クヴァンと呼ばれる祈祷所のような場所の入り口で、村人たちが歌い、踊り始める。
音を奏でる楽器は、青銅の銅鐸を小さくしたような鐘を、枝でしきりに叩いてリズムを刻む。破裂音の中に手拍子で歌われるフォン語の民謡。こういった音楽を聴くと、途端に遠い異国に来ていることを実感する。
ヴォドゥンの儀式は、神の宿る精霊を祀る儀式の他、踊り、歌、動物の生贄などが特徴的だそう。










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by hideoku0413
| 2017-06-15 04:30
| 西アフリカ ベナン
ベナン近辺が発祥とされる民間信仰のヴォドゥン。
奴隷として送り込まれたアメリカ南部やハイチなどでは一般にブードゥーと呼ばれる呪い信仰として今も崇拝されている。
前回の日曜日に立ち寄った村の人が、ヴォドゥンの祭りがあることを教えてくれた。
以前ヴォドゥンの写真を町中で撮ろうとした際に断られたことがあったので、写真は基本的にタブー視されているようだが、この辺で病院を建設している日本人は一応知り合いとして見なされたのかもしれない。何せ外国人のほとんど目にすることのない場所のため、珍しがられたことが幸いしたのかもしれない。

幹線道路から村への入り口に掲げられた精霊を形どった幕。

色んな精霊がいるようだが、このエリアではこの牛の角のある精霊が一般的のよう。地元の精霊の祭壇。

村の中心に位置する広場。ここで儀式が行われる。左のヤシの葉の囲いが、神が乗り移る儀式が執り行われる場所で、村人すら限られた役目をする人達以外、中に入ることはほとんど許されない。子供達は入り口に近寄ろうともしない。大人たちは子供たちにとって呪いや神憑りが恐ろしいこととして教えているんだろう。



そういえば何時頃から儀式が始まるのか聞いていなかったが、ちょっと早かったみたいだ。子供だけはやたら僕の周りに集まってくる。

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by hideoku0413
| 2017-06-13 06:14
| 西アフリカ ベナン
今住んでいるアラダの町の3日に一度の市。日曜日に当たれば出歩きがてら行くことがある。相当な視線を浴びる中でベナン人の自然な生活の場を写真に撮ることは、結構難しいが、そのまま奥に奥に行くにつれ、周りと同化してくるような感覚が芽生える。そうなれば、比較的自然な写真が撮れるような気がする。
式や催しなどの用意された場所で、撮られる側も意識してしまう写真は、なぜか撮りたいとは思わないことが多い。コンサートや舞台など、人が集まるところで比較的多くの人が写真に残したいと思うような場所が、なぜか僕には合わないことが多い。
卒業式や結婚式などの思い出の場では、僕が写真を撮っているのを知っている友人は頼みやすいのかもしれないが、正直言って撮りたくない気持ちのほうが強い。
それはやはり人間が構えてしまうからかもしれない。撮られる人それぞれにとっては価値のある写真になる。思い出にもなり、記録として残すことの価値もあるだろう。しかし撮る側にとって価値のある写真にするには、被写体側の喜ぶ写真を狙っているのではだめだと思う。もちろん思い出記録者写真でも撮る側が喜ぶのであればそれは良い。
世界中色んな文化がある中で、それぞれの生活様式を取り入れた、自然な人間のしぐさに興味がある。ベナンでは文化的に人間を撮るのが比較的難しいが、もっと奥へ奥へ入り込んだ生活臭のする写真が撮りたい。













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by hideoku0413
| 2017-06-07 05:48
| 西アフリカ ベナン